「コブラ」作者開拓の歩み 漫画家・寺沢武一さん展 宝塚 /兵庫
76年に上京して手塚治虫に師事。「大地よ、蒼くなれ」で手塚賞佳作。78年に「コブラ」でデビューした。同年11月から週刊少年ジャンプで「コブラ」を連載。洗練されたモダンな絵柄のスペースオペラが人気を博し、アニメ化された。パソコンでの制作も80年代初頭から始め、92年に世界初のフルCG漫画「タケル」を発表。03年には98年に脳腫瘍を患ったことを公表した。
代表作「コブラ」で知られる漫画家、寺沢武一さん(1955~2023年)の業績をたどる企画展が、宝塚市の市立手塚治虫記念館で開かれている。
名作「コブラ」を通して、寺沢武一氏の素晴らしい手腕を振り返ります。
漫画家の寺沢武一氏が2023年9月8日に亡くなったと、先日各方面で報じられました。
SF漫画「コブラ」作者・寺沢武一さん死去 03年に脳腫瘍を公表
宇宙海賊が活躍するSF漫画「コブラ」などで知られる漫画家の寺沢武一(てらさわ・ぶいち)さんが死去したことが分かった。集英社が11日、明らかにした。北海道出身。
3日、漫画「コブラ」などで知られる漫画家、寺沢武一氏(64)を管理する寺沢プロダクションが3日、ツイッターを更新。寺沢氏が2日に不謹慎な画像をツイッター上にアップした後、プロダクション側がツイッターのアカウントを管理し、削除した騒動の経緯を説明した。
「コブラ」作者寺沢武一氏逝去…1998年に脳腫瘍判明 | Game*Spark
寺沢氏の漫画家歴は長く、1978年には「コブラ」で初連載を獲得。「週刊少年ジャンプ」でも掲載が1984年まで続き、以降も「スーパージャンプ」など複数の媒体で「コブラ」を描き続けました。
また、「BLACK KNIGHT バット」、「鴉天狗カブト」、「ゴクウ」、「武 TAKERU」、「GUNDRAGON」など様々な作品を生み出しながら、代表作とも言える「コブラ」の執筆も定期的に続け、2019年には「COBRA OVER THE RAINBOW」の連載を開始。長き生涯にわたり、熱意と意欲を持って漫画執筆を続けた作家でした。
「コブラ」作者寺沢武一氏逝去…1998年に脳腫瘍判明 · シェア · ポスト · 送る
筆者もいちファンとして、各作品……特に「コブラ」を愛読し、のめり込んできた読者のひとりです。脳腫瘍といった大病で筆を置く時期もありましたが、そのたびに寺沢氏は必ず舞い戻り、素晴らしい作品を提供し続けてくれました。
北海道出身。さんのアシスタントを経て、()で78~84年に代表作「コブラ」を連載。左腕に武器「サイコガン」を着けた宇宙海賊コブラの活躍をアメコミタッチで描いた同作はヒットし、アニメ化もされた。少年ジャンプでの連載終了後、別の雑誌で続編も描いた。
[訃報]寺沢武一さん 漫画家 コブラ作者 | 沖縄タイムス+プラス
どれだけ嘆いても、時は戻りません。そして、作者が去った後でも、作品は残り続けます。個人として失ったものの大きさを痛感していますが、ひとりのライターとしてすべきことは、寺沢氏の名作とその足跡をこれからも伝えること。その想いから、寺沢氏の代表作である「コブラ」の魅力や特徴などを、今回改めて紹介します。
漫画「コブラ」作者 寺沢武一さん死去 | 全国のニュース | 福井新聞D刊
寺沢プロダクションは、「コブラ」で知られる漫画家の寺沢武一氏が2023年9月8日に68歳で心筋梗塞のため亡くなったことを発表しました。
寺沢武一公式サイトです。コブラなど寺沢作品の情報をいち早くお知らせします。
寺沢武一氏の代表作として知られる「コブラ」は、アニメ化もされ日本だけでなく海外でも人気を博しているSFコミック。2023年3月には、ゲーム開発が進められていることが明らかにされていました。
『コブラ』寺沢武一氏のSNSに不適切画像 プロダクションが謝罪、週刊誌報道に憤りも
を舞台としたSF漫画「コブラ」で知られる漫画家の(てらさわ・ぶいち、本名・武一=たけいち)さんが8日、(こうそく)で死去した。68歳だった。葬儀は家族で営む。
寺沢プロダクションは、「コブラ」で知られる漫画家の寺沢武一氏が2023年9月8日に68歳で心筋梗塞の..
漫画「コブラ」の連載は、1978年に「週刊少年ジャンプ」で始まりました。当時の週刊少年ジャンプは、「キン肉マン」や「ドーベルマン刑事」などの人気漫画が活躍。また後続で「Dr.スランプ」「キャプテン翼」「キャッツ・アイ」なども登場し、大きな盛り上がりを見せます。
寺沢 武一の解説。読みは「てらさわ ぶいち」。漫画家。コブラ等の作者。
バトル漫画の多くは、正義や倫理を重んじて、悪側の敵と戦う作品がほとんど。そんな時代の中、漫画「コブラ」は宇宙海賊を主人公に据え、法律を歯牙にもかけないアウトローを描くSFアドベンチャーとして発進しました。
SFハードボイルドマンガ『コブラ』の連載開始45周年を記念し、原作者・寺沢武一の正式な監修を受けた複製版画が登場。
本作の主人公は、作品名と同名のコブラ。フルネームは不明で、本名なのか偽名なのかも分かりません。左腕に銃(サイコガン)を仕込み、見事なプロポーションを持つ相棒「アーマロイド・レディ」と共に、宇宙船「タートル号」を駆り様々なお宝を華麗に奪います。
寺沢武一さん(てらさわ・ぶいち=漫画家)11日までに死去。北海道出身。
代表作「コブラ」で知られる漫画家、寺沢武一さん(1955~2023年)の業績をたどる企画展が、宝塚市の市立手塚治虫記念館で開かれている。今や多くの作家が取り組む「デジタルマンガ」を開拓するなど漫画の進化に常に挑み続けた寺沢さんの歩みが分かる展示にもなっている。
SF漫画の金字塔『コブラ』や『ゴクウ』などのヒット作で知られる漫画家・寺沢武一さんが8日、心筋梗塞のため亡くなったことが伝えられた。
北海道出身。上京後、手塚治虫のアシスタントを経て、1978年から「週刊少年ジャンプ」で代表作「コブラ」を連載。一匹の宇宙海賊が星々を飛び回る痛快なストーリー、アメリカンコミックを意識したリアルで迫力ある描写が人気を博し、アニメ映画化、テレビアニメ化された。
コブラ デラックス版 コミック 全10巻完結セット (ジャンプコミックスデラックス) ..
コブラの性格は、軽口が多くユーモアに溢れており、“仕事”の最中もあまり緊張感を見せません。その砕けたスタイルは女性相手でも変わらず、美人と見れば興味を示し、手慣れた様子で声をかける場面も多々あります。
「コブラ」などで知られる人気漫画家・寺沢武一さんが、9月8日に亡くなったことがわかった。11日、寺沢プロダクションが訃報を伝えた。
こうした性格の主人公は、特に当時の少年漫画ではかなり珍しい部類でした。しかもコブラの場合、容姿との兼ね合いもまた特徴的です。こうしたキャラクターの場合、二枚目やイケメンでもおかしくありませんが、コブラの見た目だけを語るならばずばり「三枚目」。たれ目で団子鼻という見た目は愛嬌こそ感じますが、ハンサムとは言い難い容姿です。
寺沢武一 原画展 ART of コブラとか。 □作者プロフィール
少年漫画の主人公、しかも宇宙海賊。そこに、三枚目なビジュアルの組み合わせは“奇妙”にも思えます。しかし作品を読んだ後は、その印象が一変。味のある表情との組み合わせがこの上なく格好良く、“絶妙”だったのだと驚かされます。
漫画「コブラ」などで知られる漫画家の寺沢武一さんが死去 68歳
こうしたいくつかのギャップと、ここ一番では決める振る舞いが、コブラという人物を魅力的に引き立てます。そしてお宝を狙う一方で、決して欲深いわけではなく、困難への挑戦を楽しんでいる面が大きい模様です。例えば、相棒のレディを助けるために向かった「カゲロウ山」の山頂にはニ十トンもの金塊があったのに、コブラは全く目もくれずに下山しています。
提供社の都合により、削除されました。概要のみ掲載しております。 関連ニュース. コブラ作者側の主張に真っ向反論.
いわゆる「正義の人」からはほど遠く、強いて言えば劇画系漫画に近い主人公像と言えるでしょう。そんなコブラを、敢えて少年漫画の主人公に据えた寺沢氏の先見の明は、コミックの発行部数5,000万部超え(全世界累計)という大成功をもって正しく証明されました。
【訃報】「コブラ」の作者・寺沢武一さん。2023年9月8日に永眠。
SFアクション漫画「コブラ」で知られる漫画家、寺沢武一(てらさわ・ぶいち)さんが8日、心筋で死去した。68歳だった。
【訃報】「コブラ」作者・寺沢武一さんが死去 68歳 漫画家の森田まさのりが報告「寺沢武一先生が亡くなられた」 真偽のほどは分からないが…
寺沢さんは、浪人時代に投稿した漫画が入賞したことをきっかけに漫画界入り。1976年に上京して手塚治虫さんに師事し、手塚プロダクション・漫画部スタッフとして所属中に『大地よ、蒼くなれ』が、手塚賞佳作に入選。1978年に『週刊少年ジャンプ』にてデビュー作『コブラ』を発表、同年11月に連載を開始しました。
さらに、1980年代初めからPCでの創作に着目し、1992年『武 -タケル-』で世界初となる全編フルCG漫画を発表。『デジタルマンガ』という名称を生み出し、以降『コブラ』『ブラックナイト・バット』のフルCG漫画、主人公のみ実写による『GUNDRAGONシグマ』などのデジタル創作作品を続々公開し、コンピューターを取り入れた漫画制作の先駆者として活躍しました。