飛行機航空機サロンルブルジェパリ飛行機宇宙博物館 ストック写真
ただ、P-63はハナから出来がいいのがわかっていたのか試作機が初飛行する前の1942年9月には採用していましたが、前述の傑作戦闘機が登場していたので米陸軍航空隊では必要性が無く、演習弾が命中するとプロペラスピナの先端がピカピカ光る有人標的機『RP-63ピンボール』に使われたのみ。
他はやっぱりソ連にほとんどが送られ、ドイツ軍を蹴散らしてナチスドイツを降伏させた後は、対日戦にも使われて満州や朝鮮半島への空襲でP-39と共に使われました。
1/144 ワールドフェイマスエアクラフトシリーズ アメリカ陸軍戦闘機 キングコブラ マイクロエース ..
ちなみに、アメリカ陸軍航空隊では当初凡庸な性能だったP-47『サンダーボルト』やP-51『ムスタング』をメーカーに熟成させて傑作機に発展させていますが、量産実績を上げて自信のついたベル社にもP-39の発展型を発注しました。
すなわち本来の高高度性能を取り戻すべくエンジンを更新するとともに各部設計を全面的にリファインし、中高度以上の性能はもちろん各性能を向上させたP-63『キングコブラ』です。
結果、イギリスからのレンドリース(もちろん最初は20mm機関砲装備型)のみならず、本来のP-39を送ってくれ! 大至急! という声に応えたアメリカからP-39のほとんどはソ連に送られ、やはり低空を得意とするソ連製戦闘機やシュツルモビーク(襲撃機)とともに大活躍したのでした。
滑走路に飛行機第二次世界大戦の P 63 キングコブラ航空機
つまり低空での性能さえあれば良く、しかも地上攻撃に活用できる大火力があればいうこと無し! というわけで、37mm機関砲で戦車や自走砲などドイツ軍地上部隊をバリバリ攻撃できて、低空ならドイツ軍戦闘機に負けないP-39は大好評だったのです。
ところが、イギリスからレンドリースに回されて受領したソ連では全く違う評価を受けました。
ソ連がドイツと戦う東部戦線のメインは地上部隊同士の戦いで、両軍の飛行機の任務はほとんどが低空での地上支援で、中高度以上での戦闘など偵察機とそれに対する迎撃くらいしかありません。
航空機 · プロペラ軍用機のキット · 1/72 スケール · 1/72 ベル P-63E-1-BE キングコブラ.
結果、太平洋戦線ではP-38やP-47が登場すると急速に姿を消していきますが、それまでは戦闘爆撃機として、そして爆弾を投下すればそのまま低空で日本軍の戦闘機に立ち向かい、犠牲を出しながらも戦い続けたのです。
しかし太平洋戦線に送られたP-39は、日本軍機以上に中高度性能が悪く低空戦闘オンリーな戦闘機であり、その高度だと最高速の速さも生かしきれず、高度が低すぎてパワーダイブで急降下遁走もできません。
結果、低空でも運動性が良く、まだベテランパイロットの多かった日本軍の零戦や隼に追い回されていいようにあしらわれる事が多く、機体形状から『カツオブシ』と呼ばれ、すっかり侮られてしまいました。
UNITED STATES AIR FORCE | 陸軍, 航空機, 空中
お膝元のアメリカでも同年12月に日本との戦争が始まると、太平洋戦線を支える新型戦闘機としてイギリス空軍のキャンセル分を米陸軍航空隊で引き取って、日本軍が快進撃を続けるオーストラリアやニューギニア方面に送りました。
なお、イギリスで発注したのは対戦闘機戦闘を重視したのか、機首に37mm機関砲ではなく20mm機関砲を搭載したタイプで、これは米陸軍航空隊では『P-400』として採用、37mm砲搭載のP-39とは区別しています。
まずドイツとの戦争が始まって戦闘機なら何でも欲しかったイギリスが発注、1941年9月から引渡しが開始されるも低空でしか使えない戦闘機なんかいらない! とわかりきったクレームを入れて、同じくドイツと戦争が始まったソ連へのレンドリース(援助物資)に回してしまいます。
10 アメリカ陸軍戦闘機 キングコブラ 23035 No.11 アメリカ海軍爆撃機 ..
テストパイロットによる評価は悪くなく、空戦性能はP-51やP-47と同程度だったらしいのですが、低速で上昇力が悪いとも評価されました。 致命的だったのは航続距離が短いことで、米陸軍はP-63を戦闘には不適な機材と判断し、一部を国内の練習部隊に配備した他は、ほとんどがソ連へのレンドリース機として輸出されました。 第二次世界大戦終了後には、P-63はフランス政府に供与され、インドシナ紛争で対地攻撃に投入されました。 スピットファイアーに負けず劣らず活躍しましたが、予備部品の入手難からその期間は短いもので、1950年にはF6Fヘルキャットに、1951年にはベアキャットに、その席を譲り渡しました。
戦闘機 · 航空兵器/世界大戦 · ソ連軍/航空機 · ベルヘリコプター
ベル社は1936年の米陸軍の単発単座戦闘機開発計画に応えてP-39「エアコブラ」を開発しました。 この機体はエンジンを胴体の中央付近に置いて、長い延長軸で機首のプロペラを駆動し、プロペラ軸を通して機関砲を発射するという珍しいレイアウトでした。 これは重量物であるエンジンを機体の重心近くに置くことで運動性が高くなり、機首に強力な火器を集中搭載できるメリットがあると考えられたからです。 しかし、P-39の量産型には排気タービン付きのエンジンが搭載されなかったために、3000m以上での高空性能に問題が有り、対空戦闘には不向きな機体になってしまいました。 1941年にはベル社はこのP-39をベースとして高空性能を改善するため機械駆動式二段過給器を備えたエンジンを搭載した機体の開発を開始しました。 この機体には速度と航続距離向上を図って層流翼が採用されました。 しかし、搭載予定であった肝心のエンジンV-1650マーリンがP-51Bの需要増によって余裕が無くなったため、試作機のXP-63AはアリソンV-1710-47を搭載して1942年12月7日に初飛行し、1944年まで試験が続けられて、同年の夏に「キングコブラ」と名付けられました。
未使用 模型飛行機 ノースウエスト航空 カーゴ B747-200F 1/400
現在、航空機分野における『ベル』といえば、シコルスキーと並んで世界中でヘリコプターを売りまくるアメリカのベストセラーメーカーとして名高いのですが、かつては戦闘機や実験機などで斬新な飛行機を得意としていました。
世界で初めて水平飛行で音速突破したロケット実験機『X-1』や、第2次世界大戦の敗戦時に未完成だったナチスドイツの『メッサーシュミットP.1011』を元にした世界初の可変後退翼実験機『X-5』もベル・エアクラフト社の作品です。